大往生したけりゃ医療と関わるな

  ◎「健康」には振り回されず、「死」には妙に(あらが)わず、医療は限定利用を心がける

生きものは繁殖を終えれば死ぬ 検査の数値は微妙なことで変わる
医者にとって年寄りは大事な「飯の種 基準値はあてになるのか
健康の為なら命もいらない 病気が判明しても、手立てがない場合もある
生活習慣病は治らない 年寄りに「過度の安静」はご法度
年寄りはどこか具合が悪いのが正常 人は生きてきたように死ぬ

  ●生きものは繁殖を終えれば死ぬ

  長寿社会と言われるが、いいことばかりではなく、一面、弱ってもなかなか死ねない、死なせてもらえない”長寿地獄社会”でもあります。長くなった人生を、「往き」と

  「還り」に分けて考えたいと思います。何故分けるのかというと、生き方を変える必要があるからです。つまり、「往き」は右肩上がりの考え方でいいのですが、「還り」は

  右肩下がりの考え方が必要というわけです。兎は、前肢が短く後肢が長いので、上りには都合がいいのですが、下りには難渋します。人間も、「還り」は、長い後肢と

  短い前肢を付け替えるぐらいの意識変革が必要とされるのですが、現実はそうはいきません。身体がついていけないにもかかわらず、気持ちだけは何時までも若く、

  無理に気持ちに身体を合わせようとするので不都合が生じます。本当は、身体に気持ちを合わせるようにすれば、ずっと楽に生きられるはずなのですが。往きと還りが

  あるからには、折り返し点があるはずです。女性は月々、卵を産まなくなった時と、明白です。男性の場合は、もう一つはっきりしません。75才、80才になっても「ワシは

  まだ交尾ができる」といばっている爺さんが時にいます。しかし、たとえ交尾が可能だったとしても、精子は老眼鏡をかけたり、松葉杖ついたりしてヨレヨレですので、実用

  向きとは言えません。従って、やはり女性と同じ頃か、遅くとも定年、還暦辺りと考えるのが妥当でしょう。産卵を終えると間なしに鮭は息絶えます。1年草は、花を咲かせて

  種ができると枯れます。この様に、生きものは繁殖を終えれば死ぬとういうのが、自然界の”掟”です。ところが、人間は、食料事情が良くなったこと、衛生環境が改善さ

  れたこと、医学の発達等が相俟って、繁殖を終えても生きものとしての賞味期限が切れても、うん十年生きるようになりました。これは、一説には、人間とゴンドウクジラ

  だけということです。ゴンドウクジラのひねメスは、子育てに参加し、若いメスの負担を軽くして、種の繁栄に貢献しているそうです。ところが、人間のひねメスは小金を

  握りしめて遊び呆けていて、殆ど子育てには関与していません。もっとも、若いメスの方が、おばあちゃんのやり方は古いと拒絶し、タッチさせない現実もありますが。

  「還り」の人生においては、嫌でも「老い」「病」「死」と向き合わなければなりません。基本的には、「老い」には寄り添って(こだわ)らず、「病」には連れ添って(とら)われず、「健康」

  には振り回されず、「死」には妙に(あらが)わず、医療は限定利用を心掛けることが大切です。生きるものとしての賞味期限の切れた後の重要な役割は、「老いる姿」

  「死にゆく姿」をあるがまま後継者に「見せる」「残す」「伝える」ことにあります。また、自分の都合で勝手に生きているのではなく、諸々の御蔭を蒙って生かされていること

  に気ずき、その「縁」を大切にするように心がけましょう。そして、見えること、聞こえること、噛めること、飲み込めること、座れる、立てる、歩ける、手を動かして鼻をほじれる、

  お尻を拭ける、小便が出る、ウンコが出ること等、実は当り前ではないのです。病んで初めて健康の有難味が分かり、不運、不幸に見舞われて初めて、日常の平凡さの

  有難さを感じると言われます。この様な、普通、当たり前が、実は、不思議で有難いことと噛み締め感謝する。これが「還り」の生き方の基本であると思います。