大往生したけりゃ医療と関わるな

  ◎「出来るだけの手を尽くす」は「出来る限り苦しめる」

「お前なんか、そうやすやすと死ねんからな」 植物状態での水分、栄養補給を中止した米国の2つの事例
極限状態では痛みを感じない 食べないから死ぬのではない。「死に時」がきたから食べないのだ
「自然死」の仕組みとは 分娩台での出産は、実は不自然
家族の事情で親を生かすな 「死に時」をどう察知するか
長期の強制人工栄養は、悲惨な姿に変身させる ”年のせい”と割り切った方が楽
鼻チューブ栄養の違和感は半端じゃない 「看取らせること」が年寄りの最後の務め
”老衰死”コースの目安は7日〜10日 死ぬ時の為のトレーニング

  ●「お前なんか、そうやすやすと死ねんからな」

  日本人は、よほど「死」という言葉が嫌いらしい。・「早くお迎えがきてほしい」という言葉をよく口にするおばあちゃんに何故だと聞くと「何で自分の家があるのに、こんな

  老人ホームに入らないといけないのか、それもこれも、みんな悪い嫁のせい」と言う、すると、それを聞いた他のばあちゃん達が寄ってきて「あんたんとこもか」と異様に

  盛り上がります。・よく、「皆に囲まれて死にたい」と口にされるが、病院で臨終場面を、思い出すと、親戚、縁者が大ぜいベッドを取り囲んでいるが、誰1人として死にゆく

  人間を注視していない。皆枕元のモニター画面に釘ずけである。昔だったら、脈を取っていた医者が「ご臨終です」と言った途端、「おばあちゃーん」とすがりついて泣く。

  しかし、今は、モニター画面の波がピーと平らになったので、「おばあ…」と言いかけると、波がピョコッと出る。また、しばらくして波が平らになったので、今度こそと

  おばあ・・」と言いかけると、またピョコッと出る。これを4,5回やられると涙は引っ込むし、後ろの方では遠い親戚が「しぶといわねェ」かなんか口走る仕儀になる。

  ・昭和20年代の後半は、腹の中を、回虫やサナダムシ等に間借りされている人が沢山いた。こういう人が死にかけると、いち早く虫達が察知して、「こんなところにいたら、

  命がなくなる」と大挙して、口や肛門から飛び出してきました。それを見た1族の長老が「とうとう虫にも見放されたか」と判断し、家族に「もう長くはないから覚悟せい」と

  引導を渡したものです。これを“専門用語”で「虫の知らせ」と言いました。・皆さんは、子供の喧嘩と年寄りのそれで、最後の捨て台詞、脅し文句が違うというのを知って

  いますか。子供の場合は「さっさと、お前なんか死んじまえ」と言うが、ところが、これが年寄りだと「お前なんか、そうやすやすと死ねんからな」と言います。・「死体」と

  「遺体」、「(かん)」と「(ひつぎ)」の違いが分かりますか。家族が近くにいたら「遺体」、いない時は「死体」。葬儀屋は、商売物なので「ご遺体」、間違っても「ご死体」

  とは言わない。それから「棺」と「柩」。何となく「棺」より「柩」の方が豪華な感じがするが、さにあらず。「棺」に死体が入ると「柩」と呼称が変わる。つまり、イカを干すとスルメ

  と名前が変わる様なもの。だから納棺と言うが納柩とは言わない。霊柩車も、空の棺桶(かんおけ)を積んで走るわけではないので、霊棺車とは言わない。・これも、

  「早くお迎え」が口癖のばあちゃんの話。そういうお方は、大体本気ではありませんね。その証拠に、ちょっと熱でも出そうものなら「先生、ひょっとして死ぬやないか」と

  「ばあちゃん、さっきまでは早くお迎えと、言ってたのではないか」と「あれとこれとは話が違う」と、減らず口を叩きます。こういうばあちゃんの臨終の判断が大変です。

  何しろ、心臓が止まっても、まだ、口は動いていますから。脳死の判定なんかより、ずっと難しい。本当に医者泣かせなのです。