60才からやっていいこと、いけないこと

  ◎何事もアテにしない生き方

  ○いつまでも「してもらえる」と思うな 会社内である程度の地位に就くと、部下が色々と手助けしてくれることがある。お茶()れ、コピー、電話の応対、資料作

  り、スケジュール調整、車の手配等。まだ肩書きのない頃は自分でしていたことを、人がやってくれるようになる。大企業の重役にでもなれば、まるで王様のような

  扱いだ。全てお膳立てができていて、その通りに動けばいい。部下がしてくれるのだから気は楽だ。だが何かの都合で、してもらえないと不満を感じるようになる。

  しかし定年後は、それが全くなくなることを覚悟しなければならない。誰もしてくれなくなる。もちろん、仕事もなくなるのだから当然だろう。今度は家庭内で、全て

  妻がやっていたことを、自分もしなくてはならなくなる。「おーいお茶」「飯はまだか」等々、これらを自分でやらないと、「何もやってないんだから、そんなことくらい

  自分でやりなさいよ」と、妻から逆襲される。人がお膳立てをしてくれて、誰かに何かをしてもらい続けていると、大切なことを忘れてしまう。当たり前のことだが、

  何でも自分で「やる」ということだ。これは、忘れてしまうと怖い。17世紀のスペイン王フェリぺ三世は、火鉢のそばにいつまでも居すぎたため、低温やけどで命を

  落とした。火かき棒を持った従者が、その時そばに居なかったのが原因だ。何もかもしてもらえる立場に慣れ過ぎると、こんなバカバカしいことまで起きてくる。

  かっての重役も、定年を迎えれば唯の人。当たり前のことだが、エレベーターのボタンのボタンも自分で押さなければならなくなる。今から、最低限度のことは自分

  でやれる癖をつけておかねばならない。そのためには、してくれないことを数えるのではなく、してもらうことを恩恵と受け取り、感謝で報いる気持ちが大切だ。

  嫁姑の関係が険悪になりがちなのも、お互いが「してもらえること」ばかりを数えているからだ。「ちゃんと後片ずけをしてくれない」等々、不満を言えばキリがない。

  してもらえることが三つあって、二つしかしてもらえなければ、残るのは不満である。同じ教えるなら「してあげられること」を教えればいい。3つしてあげられること

  があって、2つしかできなくても、それなりの満足感が味わえる。お互いがそうすれば、両者の関係は良くなる。この考え方は、定年後の妻と夫の間柄にも通用す

  る。人から「してもらえること」ばかり考えるのは悪い癖だが、豊かな社会では、とかくその方向へと走り勝ち。この悪い癖を見事に方向転換させたのが、第35代

  アメリカの大統領ジョン・F・ケネデイの名言である。「国が何をしてくれるのかではなく、自分が国に何ができるかを考えよ」定年後の第2の人生を考える時、この

  言葉をしっかりと胸に刻んでおくべきだ。定年になったら、全て自分でやらなければならない立場に置かれる。何もしてもらっていないようでも、人間は生まれて

  この方、多くの人々から沢山の恩恵を受けている。要するに、一杯してもらっているのだ。そうでなければ、貴方の「今」はないはず。だから第2の人生では、残りの

  年月で「どれだけ人にしてあげられるか」を考えたほうが、確実に人生は充実する。何故なら、自分の存在価値を世間が認めてくれるからだ。別の言い方をすれ

  ば、自分の居場所が確保できる。要介護の身でもないのに、高齢になったという理由だけで、人から「してもらえること」ばかり求めるような人間は、どんな社会でも

  受け入れてくれません。誰も口にはしないが、「(うば)捨て」思想は、今だって健在ということを忘れないでほしい。「それゆえ、自分にして欲しいと思うことはみな

  同じように人にもしなければなりません」この聖句は、聖書で「黄金律」と呼ばれている。

  ○何でも年のせいにしてはいけない 考えてみると、人間ぐらい老ける動物は他に居ないのではないか。何十年も会わないでいると、「これがあの人か?」と思う

  くらい様変わりしている人もいる。犬でも猫でも、小さい頃から飼っているとそれがわかる。高齢になっても、人間ほどには老けた変化は起きてこない。では、人間

  はどうか。赤ん坊の時から老年期まで、写真をズラッと並べたら、容貌の変化は相当なものだ。何故か。その理由は、人間が「年のせいにするからだ」と思う。

  その証拠に、人間以外は年齢で悩むことはない。牛が「もう年で・・・」なんていうはずがない。人間は物心ついた頃から、早くも年齢がらみの悩みを抱え、一生を

  通じて「年」を気にし続ける。誕生日を気にするからかもしれない。特に中年以降は、この悩みは深刻化して、年をとるまいと涙熊しい努力を重ねる。だが、アンチ

  エイジングが成功するのは極稀である。年のせいにし始めると、老いに加速度がつく。物忘れを年のせいンいする人がよくいるが、これは間違いらしい。脳は年を

  とっても簡単には衰えない。年をとればとるほど、向上する脳の働きもある。例えば直観力などがそうだ。脳の衰えと思っていることは、体の衰えからきていること

  が少なくないのだ。記憶力も同じ。記憶力が落ちるのは、老人特有の現象ではない。よく気にするのが「ど忘れ」だが、その回数は子供と大して変わらないというデ

  ータもある。「年をとると、ど忘れする」は、思い込みかもしれない。むしろ、大きな要因は体の衰えだ。体力が衰えると集中力に欠ける。集中力に欠けると粘りがな

  くなる。そうすれば年のせいにはできなくなる。年のせいにしていいのは、肉体的な衰えだけ。だが、これも体を鍛える、食生活を改善することで抑制できる。後に

  残るのは個人差だけである。会社勤めがなくなると、どうしても運動不足になりがちだ。通勤している時は、自宅から最寄り駅まで歩く。そして通勤ラッシュもまれて

  乗換えがあって、また下車駅から会社まで歩く。途中に駅の階段などもあって、サラリーマンは朝夕の通勤だけで、けっこう運動しているのだ。それが退職して、家

  にいるようになると、一切運動をしなくなって運動不足になりがち。そのうえ三食しっかり食べていると、どうしても太る。そこで、どうせ朝の目覚めも早くなったのだ

  から、早朝ランニングをお勧めしたい。最初は普段着のまま、10分くらいの足慣らしから始める。30分くらい軽くジョギングができるようになればしめたもの。このへ

  んからランニング用のシューズやシャツを揃えるのもいい。とにかく気分転換になるはずで、1時間も走れるようになれば、地域のハーフマラソン大会にも出てみた

  くなる。友人も退職後に早朝ランニングを始めて、「こんなに気分がいいものだとは知らなかった。体験して初めて分かった」と喜んでいた。そして、80才近くになっ

  た今、ハワイでマラソン大会に挑戦するという。こんな人も少なくないだろう。又運動不足を自覚して、近くのスポーツクラブに通い始めた友人もいる。このように

  肉体を鍛えて若さを保っていれば、年のせいにする必要はなくなる。にもかかわらず、私達は中高年を過ぎると、しきりに年齢を気にして、様々な変化を年のせい

  にする。もういい加減、年のせいにするのは止めましょう。冒頭に述べた、老いの変化の激しさが、「年のせいにするからだ」というのは、科学的な根拠のあること

  ではないが、身の回りの人間を観察してみればいい。年のことなんか全く気にしないで、明るく元気に生きている人が老いぼれているだろうか。老いぼれているの

  は、年を気にする人のほうではないか。年のせいにするのは、肉体的、精神的両面から、衰えに拍車をかけることになる。そんなライフスタイルを続けて平穏で

  いられるはずがない。「年齢というものには元来意味はない。若い生活をしている者は若いし、老いた生活をしている者は老いている」これが真実だと思う。