60才からやっていいこと、いけないこと

  我が家の向こう3軒両隣には、すでに退職したご主人もいる。朝、といっても遅い時間だが、私が家を出る時、そんなご主人が庭掃除等をしていて顔を合わせるこ

  とがある。「おはようございます」「お出かけですか。行ってらっしゃい」といった平凡な朝の挨拶を交わす。時に私よりまだ若いご主人が、チラッと羨ましそうに私を

  見ることがある。毎日、決まって行く場所があることが羨ましいのかもしれない。私のようなもの書きの仕事は、何もわざわざ仕事場まで出掛けなくても、家の中で

  やろうと思えばできる。それでも、私は独立した時から家庭と仕事場は切り離すべきだと思って、それを実践してきた。一種のけじめである。そして「男は死ぬまで

  働きなさい」−というのが私の信条でもある。定年後は、別に稼ぐためでなくてもいい、ボランティアでも何でもいい、それも毎日でなくていいから、とにかく家を出て

  働きに行くことが、男にとって何よりの生きがいではないかと思う。又、定年後も夫婦円満仲良しはいいことだが、朝から晩までいつもいつもべったりでは困る。

  そのためにも週に何回かは1人で出掛けるべきであろう。若い時は夫婦べったりも良いが、年をとったら、夫婦はつかず離れずがいい。そうでないと、もし片方が

  いなくなった時、どう生きていけばいいか戸惑うからだ。そこで、身につけたいのが1人行動のすすめである。1人遊びができないと、常に相手を探すことになり、

  結果的に迷惑な存在になったりして、遠ざけられることにもなりかねない。悠々自適というのは「心静かにのんびりと、思うがままに過ごすこと」だが、そこに他人様

  の席はない1人遊びという言葉は知っていても、具体的に「何をどうすればいいのか」と、イメージできている人は少ないのではないか。「長生きするってことは、

  友達をだんだん失うということなんだな。俺も最近、やあと1人遊びを覚えたよ」ある友人が言っていたが、何のことかと思ったら麻雀のことだった。麻雀が3度の飯

  より好きな彼は、最近、相手がいなくなり、ゲームセンターで1人麻雀をやっているのだ。これも1人遊びではあるが、そんな狭い範囲でこの言葉の意味を捉えてい

  たら、1人遊びの真髄がいつまで経っても理解できないだろう。1人遊びとは、孤独と戯れることである。例えば、こういう男性がいる。長年サラリーマンをしていた。

  定年後の今は、小さな庭付きの持ち家で専業主婦の妻と2人暮らし。妻の日常は夫が現役だった頃とさして変わらない。洗濯、掃除、料理、買い物ーこの繰り返し

  夫は「妻の邪魔は極力しない」と心に決めている。毎日、家にいる夫に、心の底ではうんざりいしていることを知っているからだ。そこで1日1回は外出をし、妻に

  息抜きの時間を作ってあげている。もちろん、そんな気持ちを口に出したことはない。外出する時は「何か、買ってくるものはないか」と必ず声をかける。外出といっ

  ても、特別な用があるわけではないから、買い物を頼まれた時は、スーパーに行き、あとは本屋へ寄ったり、喫茶店へ入ったりして時間をつぶす。歩くのが好きだ

  から、遊歩道をぶらぶら歩いて近くの公園まで行き、ベンチで一休みする。たまには妻より早起きして、朝食を作ってから妻を起こす。その季節になれば、庭の立

  木の手入れもするし、近所の顔見知りと居酒屋で酒を酌み交わすこともある。自室にいる時はDVDで好きな映画を観たり、音楽も鑑賞する。ブログで自分の意見

  を発信もしている。時には妻と連れたって外食したり、国内旅行も年に2回は行く。近所では「仲のいいご夫婦」で通っているが、仕事もなくなった老後の夫婦の内

  実はこんなものである。彼が心に決めていること。妻の行動や趣味には口を挟まない。その代わり、自分の行動や趣味にも口を挟ませないーこのような日常が

  1人遊びである。夫婦お互いに、つかず離れずである。要するに、群れて行動しない。仲間がいないと寂しくて仕方がない、という状況に自分を置かないこと。

  サラリーマン時代と違うのだということを、はっきり自覚することだ。退職後の生活パターンには、沢山のバリエーションが考えられるが、このような日常の過ごし方

  は、ある意味で「哲学する」ようなものだ。この人が「人生とは」という論文を書けば、たちまち市井(しせい)の哲学者になる。古代ギリシャの哲学者ソクラテスという

  人は、こんな生き方をした人だった。1人遊びとは、他人の介在を極力少なくして毎日生きること。してみると、世の中には沢山の哲学者が存在していることになる
  

 老ける人、老けない人の違い  定年後を愉しめる人、愉しめない人
 何事もアテにしない生き方  死ぬまで自分を見失わない

  ◎老ける人、老けない人の違い

  ○定年後はもっとわがままに生きてみる 昼食時にオフィス街を歩いていると、2,3人連れのサラリーマンが、会社のIDカードを首からぶら下げて歩いている姿を

  よく見かける。それを見る度に、「私は、この会社に首輪でつながれているのですよ」と誇示しているように見える。そんな会社から首輪を外され、「さあ、どこへでも

  行きなさい」と放たれるが、定年退職ではないか。定年退職とは、そのような頚木(くびき)から解き放たれることを意味する。確かに同僚や部下もいなくなり、電話

  もかかってこず、年賀状も盆暮れの付届けも激減するだろうが、一方で底意地の悪い上司の理不尽な叱責を、頭を垂れて聞く必要も、怒鳴りつけたいほど生意気

  な部下に感情を隠したまま指示を与える必要もなくなる。ともすれば、感傷的になりがちな定年という大きな節目を、目に見えない麺からの解放としてとらえ、「もう

  誰も俺を縛ったりできないぞ」と、年季の明けた奉公人のように晴れ晴れとする。こうした観点から定年後の環境変化を捉えると、全く新しい世界が見えてくるので

  はないか。それは、どんな世界か。自由にわがままに生きても構わない世界だ。誰に遠慮も気兼ねもいらない。家族など身近な人間とはうまくやらなくてはならな

  いが、サラリーマン時代の耐え難い「我慢」はもういらない。自らにそう言い聞かせて、少しは自分の思い通りに、わがままに生きてみることをお勧めする。何故、

  そんなことを言い出したかと言うと、「長生きのコツ」について、面白い事実を見つけたからだ。1つは「職業と長生きの関係」である。郡山女子大学の森一教授ら

  が、どんな職業が長生きするかを調べたら、宗教家、実業家、政治家の順だったというのだ。これは何を意味するか。いずれも「上から目線」でいられる職業だ。

  要するに、威張っていられる。中には威張らない人間もいるが、いつでも威張れる立場であることに変わりはない。つまり、我慢やストレスが少ないのである。又、

  何時も高齢者に付き添っている介護福祉士のこんな証言もある。「90才、100才まで長生きする人って、決まって我がままで頑固な人たちばかり。周りに気を遣うこ

  となく、我慢するということを知らない。扱いにくくて仕方がない」他人の思惑なんか気にせずに、自分の好きなように生きることは、ストレスが少なく、健康長寿に

  つながるのだ。事実、サラリーマンが健康診断をすると、地位の高い人ほど健康状態は良好なのだそうだ。かなり我がままに生きられるからだろう。芸術家は総じ

  て長生きだが、中でも画家は特に長生きだ。文豪やオーケストラの指揮者など、わがままが通る地位まで上り詰めた人間も揃って長生きだ。普通に生きてきた我

  々は、とてもそんな環境には恵まれない。だが定年退職後は可能だ。第2の人生を、もっと我がままに生きてみたらいいではないか。「私達は、この世に生きなが

  らえ、唯長生きするために生まれてきたわけではない。私達は、生き、そして、人生を多面的に知り、人生の豊かさをあらゆる面で体験するために生まれてきたの

  だ」(インドの宗教家)