食の来た道、1000年

  日本の食べ物は中国の食医の思想、すなわち、病気にならない食事の考え方が、奈良時代の律令で天皇家の膳職などに

  適応され、中国の食経ガ規範とされてきました。当時は食も薬も、その材料に草木が多いことから、これを「本草ほんぞう」と呼んで同一視

  され、医学教育の必須科目となっていました。日本の医学書の編纂にも多くの本草や食径が引用されています。

  鎌倉時代になると、自分の臨床体験を加えた日本独自の著述が多くなってきます。

  本草の中では食品と薬が一緒になっているが、平安、鎌倉時代になると「宜禁ぎきん」すなわち、食べていけないものを法律で規定し、

  守らねばなりません。食に携わる人は、常に食の安全性を考え仕事することが必要です。最近の食品メーカーの事故も原点は同じです。

  明治以前の日本文化は、中国や朝鮮の書籍や考え方を規範にしていました。奈良時代に中国から伝来した専門医の仕事内容。

  医師(医政の最高責任者)→食医(王の食事の係り)→疾医(国民の病気治療を担当し、現在の内科医に当ります)、痬医(外科医)

  疾医の内容:四季に起る病気を診断した後、まず食事療法で病気の治療を考え、次に薬物療法を行います。現代医療に共通している。

  食事は五味(酢・酒・蜜・生姜・塩)と五穀(麻・きび粳黍うるちきび・麦・豆)の組み合わせで考える。

  薬物は五薬(草・木・虫・石・穀)を使い治療します。

  痬医の内容:腫瘍、膿のある痬、切り傷などを治療します。

  治療法は五毒(硫酸銅・丹砂・雄黄・砒素・磁石)を湿布して治療します。より効果的な傷の治りを期待する時は、五穀で体力増強し

  薬効を高める為に五味(骨には酸味、筋には辛味、脈には塩味、気には苦味、肉には甘み)で調節し、外科も栄誉補給の大切さを指摘している。

  現代のNSTによる栄誉補給が検討されているのと同じようなことです。 

  食医の仕事:王が病気にならない食事(六食、六飲、六膳、百しゅ、百したじ、八珍の滋養や温度、食品の組み合わせ)を考える。

  この数字は種類が多いと言う意味です。食品を上手に組み合わせ栄養効率を高め、料理の温度や分量は食事を美味しく食べる必要条件です。

  温度の測り方:飯は春の季節のように温かいこと、あつものは夏の季節のように熱いこと、醤は秋の季節のように涼しさがあること、

  飲み物は冬のように冷めたいことが必要と季節の温度で説明しています。

  中国料理の「トロミ」の解釈:米の粉などでトロミをつけるがこれは温度を下げない工夫です。また材料に強く味がしみ込まない、少ない

  塩分でおいしく感じさせる効果もあります。この技は現在の塩分を控える治療食に応用できます。

  「味付け」の考え:春は酸味を多く、夏は苦味を多く、秋は辛味を多く、冬は塩味を多くすることを定めています。

  季節によって味を変える必要を述べています。調味料が一定量であると、喫食者に不満が出ます、ことに集団給食では注意すべきことです。

  「食品の組み合わせ」についての考え方:「牛肉とうるち米」、「羊肉とうるし」、「豚肉と高粱こうりゃん」、「犬肉とあわ」、「鵞鳥がちょう肉と麦」、

  「魚とまこものみ;」とし、これに菜(野菜)を加えて食べることを述べています。

  この組み合わせを見ると、食事の必要条件である炭水化物、たんぱく質、脂質、主食、主菜、副菜という条件も整っています。

  日本には食医は伝わらず膳食のみが伝わります。料理を作る専門職は「膳夫」を長に9つの職種があります。

 

   平安時代の公家、鎌倉時代にも肥満の問題があった。人間の歴史を見ると殆どが飢餓状態といえます。そのため。食料が確保できても、

  次に何時食料を入手できるかわからない。そこで人間は、瞬発力に必要な糖分をグリコーゲンの形で筋肉や肝臓に貯え、他は

  同じ量でも2倍以上のエネルギーを発揮できる脂質に形を変え、体温の保持、臓器の安定などに使用できるように進化した。

  しかし、必要以上に食事を摂取しても、相変わらず飢餓を想定していることに変わりありません。

 

    平安時代の食経 → 医学史の中で現存する最古の医学書「医心方」の中で

  「食物は腹がすきすぎないうちに食べ、衣服は寒くならないうちに着よ。半日食べないと腸や胃が虚となり、飲食物から摂取した

  滋養が衰える。1日食べずにいると、腸と胃は虚である上に疲れ、滋養分が減少する。2日食べずにいると腸や胃は虚弱となり、

  身体に運ばれる精気が不足して朦朧もうろうとする。7日食べないと腸も胃も全く虚し、養分は尽きて中枢神経の機能が低下してしまい、

  生命活動が行われなくなる。そしてついには瞳孔が開き、命を終わってしまう。水分不足も7日が限界で死に至る。」とある。

  鎌倉時代 →  僧侶が医学を学び、中国の強い影響から日本人に読みやすい和文の医学書が出てきた。

  宜禁食品(食べて良いもの、悪いもの)を挙げている本、131種の食品の効能を記述した食品・食養辞典「照味鏡」などが見られる。

 

    7世紀に天武天皇が肉食禁止令を発し、この時から明治初期に至るまで、日本の庶民は、およそ千年の間、肉を殆ど口にしていません。

  長く粗食を強いられて来た。

 

    江戸時代に入る前までは、公家などが行っていた儀式的な料理の秘伝書などがあったが、江戸時代に入ると、旬の食材とそのおいしい

  料理法などをまとめてた料理本が刊行されるようになる。これらは庶民の間にも広まっていきました。

  「くすり」として、保養の為に長期摂取する上薬、量が多く長期摂取が好ましくない中薬、身体に有害であるが、病気を治す為の一時的に

  少量使用する下薬というように、年代が下がると共に食品と薬品とが明確に分かれ、「食物本草」的な書籍が多く著述されます。

  「料理物語」(1643年) - 日本で最初の料理本   多くの料理本は宗家の秘伝とされ、免許皆伝の時に口述筆記され伝授された。