医療を治療する(医者にNo!と言う為の55の知識)

  ●主任教授の絶大なる力と大規模調査の摩訶不思議

  某国立大学の医局や教授が自治体病院から顧問料や寄付金など1億1千万円を5年間で受け取っていたということが、明らかになった。これは1連の名義貸しの問題と

  関係している。こういった事実が出てくると、結局医学部の医局制度、教授の利権問題は何も変わっていないとしか思えない。医療制度改革が、いろいろなところで行

  ってはいるが、医局の改革は、まだまだ進んでいない。何故医学部だけ、これほど教授が権力を持つようになってしまったのだろうか。それは医学界、学閥、制薬会社、

  これらの利害が一致し、がっちり組み合っているからではないだろうか。制薬会社は今や大規模調査のデータがないことには、一般開業医や病院勤務医のところへ

  営業に行っても相手にされない。昔なら、接待攻勢をかけて、医者に自社の薬を使うように、仕向けることは可能であった。また大学病院であれば、教授や助教授を

  口説いて、自社の製品を使ってもらえれば、そのままトップダウンで、医局全体の医者が同じ制薬会社の薬を使うと言うこともあり得た。それによって、一人の制薬会社   

  の営業マンが大出世したこともあった。しかし、今は、医局員がそう言った上の方からの命令には、なかなか従わなくなった。余り強硬な事をすれば、教授と製薬会社

  との癒着をリークされかねない。そういう意味では、多少医局内部も改善されてきたのかもしれない。大規模調査とは何万人もの患者さんに、ある薬を使い、その効果を

  3年、4年と追いかけて、統計的に検討するものだ。現在の医薬品の効果判定では、最も信頼できるものとされている。日本ではその調査がしずらいので、殆どが海外で

  の調査結果である。その調査結果を持って、医局のところに営業に製薬メーカー側がやってくる。データを元に、いかに自社の製品が他社のものより優れているか宣伝

  するのだ。ところが、こういった大規模調査にも、様々な欠点があり、調査対象に偏りがあったり、十分に薬が飲まれていなかったりするケースがある。それに海外の

  医学部教授が解析したデータであるから、その医学部がどの程度のもので、どれ位信頼できるものか、判断ができない。そこで製薬会社は、海外の調査結果を日本の

  有名、或いは学会で力を持つ教授に解説を頼むことになる。薬の疫学調査と言うものは、不思議な事に、誰が見ても全く同じ結果にはならない場合がある。Aという薬

  がある部分では優れているが、Bという薬が他の面でメリットがあった場合、どちらがいいと判断するかは、どんな大規模調査でも、それを解析する医者の問題になって

  しまうのだ。このような場合は、製薬会社は様々な手段を使う。医者向けの業界情報新聞や雑誌の誌面を買い取って、そこで有名な教授達に対談をさせ、大規模調査

  の結果から、いかに自社の薬が優れているかを語らせるのだ。対談の終わりには必ず、その誌面を買い取った製薬会社の名前が入ったり、製品の紹介がある。

  読む側は、公平性が保たれていると誤解してしまうが、公平性を保つなら、あくまでもスポンサーのない誌面で行うべきで、製薬会社が買い取った誌面では、行う   

  べきではないだろう。対談する教授達も、製薬会社がセッティングした対談であるから、そこの製品の悪口を言うことはない。海外の大規模な調査が公平で科学的なもの

  としても、それを評価する側が、きちんと出来なければ、何の意味もない。残念ながら多くの大規模調査が、そのように使われてしまっている。説明を聞く医者も、他に

  判断材料がないので、そういった資料を信じるしかない。特に開業医であれば、入ってくる情報は非常に限られたものだ。つまり解説する教授の役割が非常に大きく

  なる。製薬会社は自分のところの薬品の評価を高く言う教授を抱え込む様な格好で、討論会や研究会を開く。普段から研究会のバックアップをしているのだから、教授

  達もそうそう無碍(むげ)に出来ない。製薬会社側は、権威ある医者にうまく評価させれば、自分のところの薬の評価は上がる。無論教授達もその辺りは上手で、対談

  の度に、視点を変えて、それぞれの薬のメリットを言うようにしている。だから、対談の度に話す内容が違うことがある。大規模調査の結果は、いまや製薬会社にとって
  
  営業の最大の武器となってきた。逆に、大規模調査が出来ない様な薬は、なかなか使用する理由が無くなってしまったのだ。新薬の承認のルールがいい加減な頃、

  日本の市場に出てきた薬は、次第にその効果が疑われ消えつつある。そういう意味では、健全な状況になってはきたのだが、大規模調査結果を解析する側の視点が、

  今は問題である。いつの時代になっても、科学上の真実と言うのは、そう簡単に証明されない。唯、評価する医者がどこまで公平な視点を持てるかは、結局、その良心

  に依存するしかないのだ。