医療を治療する医者にNo!と言う為の55の知識

  ここ数年、医療の世界は、かってないほどの変革が起きているように見える。ところが実態は、「白い巨塔」で描いた様に、医療の世界は本質的に

  何も変わっていない。医療の改革が叫ばれ、医療特区などで多少新しい試みに挑戦しているが、改革と呼ぶにはあまりにそのスピードは遅い。

  反面、医療費の抑制の為に、病院は一般病床と療養病床という区分けにより、入院期間の短縮が図られている。そういった医療改革は、患者に目に見える

  メリットの様に思ってしまうが、実際には、外来診察の時に、名前に「様」を付けて呼んでいる程度で、本質的なサービスの改善には決してなっていない。

  もっと医者の医学的な能力や、病院の特徴といったものを、情報公開すべきではないかという提案には、「医者は常に勉強し、自ら律すればいいのでは

  ないか」という返事で、これは、いまだに多くの病院の指導者が持つ考えではないだろうか。もちろん医者が常に勉強し、医学技術や知識を身に付ける

  ことは当たり前のことで、医者の経歴や持っている技術を公開していくことが、どれほど患者の為になるか、医者達にはそれが見えないのだ。

  結局、医療は変わってきているようで、まだまだ大きな変化は見えない。医者は医者でいる限り、どこかの組織に所属している。その為に、発言がどうも

  組織代表のようなものになりかねない。どうしても利害が絡んでしまうからだ。そんなしがらみのない立場からの提案、意見を述べます。

変わらない医療界 病気と健康,その虚と実とは?
病院の現状にもの申す! これからの医療を良くするには、これしかない!
医療費はどうすれば安くなるか

 

   ◎変わらない医療界

医学部教授の論文ねつ造は,何故起きた? 何故脳卒中センターができないか
主任教授の絶大なる力と大規模調査の摩訶不思議 医師・看護師派遣解禁が医師を変える
医者のアルバイトという矛盾 入れ物主義の老人介護保健施設
誰が医療で儲けているのか 変わらない地方医療の現実
ひとけのない学界を潰せ! 名医の条件は”ゆとり”のある診療から生まれる
医学部の名義貸しは、どこに問題が
                         

  ●医学部教授の論文ねつ造は,何故起きた?

  何十年も前の「白い巨塔」が再度ドラマ化されたが、これに描かれた医学部の体質は本質的に変わっていない。某医大の脳外科教授が論文をねつ造していたことが

  発覚した。実際にいなかった患者を症例の中に増やして、論文として報告していたのだ。学会発表で、場内から質問を受けるが、どちらかと言うと意地悪なものが多く、

  研究の本質を議論しようと言うことは少ない。発表内容とは余り関連のない質問で、やっていないはずの研究成果を示して欲しいと言うものだった。そんな場合は、

  「今後検討します」で逃げてしまうのが普通だが、この時は、架空の研究成果をさも行った如く反論として言ってしまった。研究とはお互いの信頼関係で成り立っている

  ものだ。本当に研究をしたかどうか、審査することはないから、あくまでも研究者の良心に任されていると言っていい。だから、全くやっていない研究を、論文として発表

  することも、十分可能である。日本で行われている多くの医学研究は、臨床に直接影響野ある様なものは少なく、研究のための研究であるから、どんな結果が出ても、

  直接診療に影響することは殆どない。医学部の研究の多くは、医者の医局内部での出世や、教授選挙を有利に戦う為のものになっている。だから、この様な研究論文

  のねつ造があったとしても、研究論文に影響力がないので、問題になることもなかった。如何にねつ造した研究が役立っていなかったかと言う証明でもある。

  内容の論理的な展開さえ正しければ、それでいいわけである。従来の追試の様な研究は、ほとんど問題にされない。むしろ画期的な研究ほど、研究雑誌社の編集者

  から訂正を求められる可能性がある。そんな状況であるから、学会発表の場で質問され、はったりの為に、やってもいない研究をやったことにして、反論しても何の議論

  を呼ぶこともない。研究と言うのは、何らかの結果を出さいないことには、研究者の評価にならない。1年間、いろいろな実験や調査をやってみて、最初の予測とは違っ

  てしまい、満足な結果が出せなかった場合でも、何らかの成果を発表しないことには、次の年度の予算ももらえなくなる。だから研究者は、無理をしてでも結果を出す

  のだ。だから予測に反する結果は、削除されたり、10例しかなければ13例に水増しして報告すること等は、珍しくない。今回は教授選挙に関係していたから、論文の

  正当性が問題になったのだろう。論文で問題にされることは、論文の体裁が整っていることであり、症例の数が十分に足りているかなど、研究の本質的な事を議論さ

  れることは少ない。本来、研究と言うものは、過去の研究業績から、更にそこに新しい発見や考え方が組み込まれて、出来上がってくるものだ。研究とは、本当の

  オリジナリティがどこにあるのか、それが全てである。しかし、日本の多くの医学研究論文は、まだまだそんなレベルには達していない。とくに医学博士になる為の、

  博士論文は、ほとんど意味のない医学研究を、むしろ教授の方から強要されていると言っていいだろう。自主性を持って、医学博士論文に取り組むことは、日本では

  殆どあり得ない。