命の値段が決まる時

    ◎命は金で買えるか

  名門の病院で手術を受け、医者に何十万円という御礼をする人もいる。毎月何万円もかけてサプリメントを購入し、1日何十錠も飲んでいる人もいる。

  高い健康機器を購入し、その効果があるなしは関係なく、続けている人もいる。医療の中の平等性は完全に崩壊し、健康管理や治療に金をどうかけるかで、

  命が助かるかどうかという時代になった。いい医療を受けたければ、それなりの代償がいるのは時代の流れであるが、改革の遅れた日本の医療が

  それに対応できないでいる。しかし、病気によってはそんな余裕はない。後数ヶ月で死が待ちかまえているかもしれないのだ。海外では使用できる新薬が

  あったり、革新的な手術があったりして、お金さえあれば、命が助かる場合が出てきた。金と医療の問題を正面切って考えなければいけなくなったのだ。

医療には金がかかる 更に進む医療市場の開放
小児科医になり手のない時代に コストを考えた医療戦略
医療に明るい未来はないのか 金持ちが長生きする時代か

  ●医療には金がかかる

  医療とお金は常に切り離されていた。医者は患者の為なら、お金のことは考えずにやるのが正しいと考えていた。国民もそうやって医者を聖職者のように思い

  続けてきた。しかし、高度成長期の時、開業医は膨大な利益を上げ、いまや開業院はその次の世代になっている。医療に金はつきものだと、新しい

  医者達も患者も十分に分かっている。それを正面きって言えないでいる。昔の医者のように、聴診と打診というような熟練した腕の医療行為だけでは、

  確実な医療は出来ない事がはっきりしてきた。ますます医療と金の関係は密接になり、理想論を言ってる状況ではなくなってしまった。

  ●小児科医になり手のない時代に

  医者はその時代に多い病気の診療科目選ぶ傾向があった。しかし、最近ではその動機は違うものとなった。労働条件の厳しい循環器内科や小児科医に  

  なろうとする若手の医者は減り、精神科など、自分の時間が守れる専門の診療科目に進む医者が増えてきている。自分達の労働条件が不安定で、

  将来性があまりない現状に、医者達は非常に不安を抱いているのが本当のところだ。救命センターに勤務するような厳しい労働条件で勤務するのが嫌だ。

  という若手の医者の声を聞くようになった。今まではありえないことだった。先輩に言われるがままに、黙々と連日の当直に明け暮れるのが若き研修医の

  当たり前の姿だった。それが今は労働条件を問題にしたり、過労死なども遺族が裁判で勝ち取っている。医療の片隅で全く無視され続けた若手の医者の

  労働条件が問題にされるようになったのは、医者という職業には特権がなくなってきたということに他ならない。

  ●医療に明るい未来はないのか

  どうも現状のままでは、あまり明るい医療は見えてこない。しかし、金をうまく使えば、まだまだ医療は患者が利用しやすいものになるはずだ。

  規制によって、医療が医者にメリットがあるように保護されてきた。しかし、金と医療を真剣に考えないといけなくなってきた今、もっと医療を患者側に近ずける

  チャンスだといってもいい。病院や医院で医療を受けることだけが、医療の形態ではない。もっと自由に、医療を受ける側の都合で、医療のスタイルは

  変化していくべきないだろうか。そこには想像も出来なかった、治療方法があるはずだ。人間ドックに行かなくとも街角MRI、例えばクアハウスに入る感覚で

  全身のMRIが受けられれば、早期癌の発見にはかなり役立だってくる。アメリカでは、それに近いものができている。1部のコンビニで便潜血反応や

  血液検査を受け付けるようになったのだ。大型船に乗りながらクルーズを続けていて、そこで人間ドックを受けることも可能になる。つまり医療が病院という

  限定されたものではなく、広く街中の娯楽施設にできていくことも広い意味で医療の自由化である。医療は医者の独占すべきもので、素人が色々言うべき

  でないという意見は、医療経済の将来を考えた場合、最早通用しない。どういう医療形態になろうとも、医療は患者の為にあり、そこで働く医者達も

  それなりの生活が保障され、将来に夢を抱ける環境でなければならない。医療は医者にとって次第に夢のない仕事になりつつある。

  それに早く気がつかないと、医療の質は低下するしか道がなくなってしまう。